たまにしかないまとまった自由時間よりも、毎日のちょっとした自由時間の方が重要なんじゃないかという話
家族が増えたり社会的な役割が大きくなるにつれて、たとえ休日であっても丸々一日暇になることはほとんどなくなっていく。「まとまった時間さえあれば何でもできるのに・・・」と、家事や子どもの世話をしながら考えてしまうこともある。しかし、いざ丸一日自由に使える時間ができて勉強や作業を進められたとしても、期待していたほどの達成感は得られなくて何だかがっくりしてしまうことも多い。自分の無能さに幻滅してしまうが、冷静に考えるとこれは当たり前なんじゃないだろうか。
仮に毎日 1 時間勉強している人がいるとする。この人が一週間に確保する勉強時間は 60 mins × 7 days = 420 mins となる。もしこの人に一日の自由が与えられてそのうちの 7 時間を勉強に充てたとすると、7 hours = 420 mins となり、一週間毎日 1 時間勉強するのと総勉強時間は変わらない1。客観的には一週間分を一日で進められたら大したものに思えるが、まとまった自由時間の貴重さを考えると、本人はもっと劇的な進捗を期待してしまうのではないだろうか。
たまにしかないまとまった自由時間はボーナスタイムであって「あればラッキー、作業が進めばさらにラッキー」くらいに思うのが正しいのだろう。たとえ休日に時間が取れなくても気に病む必要はない。それよりも毎日のちょっとした自由時間を有意義に使う方が積もり積もって効いてくる23。
注釈
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総作業時間だけで進捗を比較するのはあまり意味はないが、細かいことを考えると話が難しくなるのでここでは気にしないことにする。ちょっとした自由時間ではできないこと(例えば、準備や片づけだけで 1 時間以上かかるようなこと)はまとまった時間を確保できないと厳しいし、まとまった時間だからこそ勢いに任せてより効率的に作業を進められることもあるかもしれない。一方で、7 時間ぶっ通しで集中するのは 1 時間集中し続けるよりも難しいだろう。 ↩