知らないことは気づいたり興味を持ったりするのが難しい。特に大人が新しいことに興味を持つには、ある程度意識的に好奇心の幅を広げる工夫が必要なんじゃないかという話。

ある物事に興味が持てない理由の一つは「それについて何も知らないから」じゃないかと思っている。ここでいう「物事」とは娯楽でも学問でも文化でも何でも良い。何も知らずにひと目見た瞬間に興味を持つ物事もあるけれど、ひと目見ただけではまったく興味が湧かない物事の方が多いのではないか。何だかよく分からないし、それを楽しんでいる人たちの属性を考えると not for me だろう。そんな風に興味を失ってしまいがち。

有限の人生、限られた時間、自分が心の底から興味があることにリソースを集中投下する方がよいのかもしれない。しかし一度きりの人生、色々な物事に興味を持って触れて知って楽しめたら人生をより彩り豊かにできるんじゃないだろうか。知らないことを知るのは元来楽しいことだし、面白いことを知らずに死ぬのは何だか悔しい。

物事にもっと興味を持つにはどうすればいいのだろう?私見では、それの仕組み、ルール、用語や概念を頭に入れておくのがよいと思う。知っていることには親しみを持つし、親しみがあるものには好奇心が湧く。ルールが分かると傍観しているだけでも楽しめるようになるし、用語が分かればみんなが何を言っているのか理解できるようになる。仕組みや概念といった「共通言語」が獲得できると途端に視界が開けて色鮮やかに見ることができるようになる。これを「解像度を上げる」と呼んだりする。ぼやけた像に輪郭が見え始めて、その周辺から徐々にクリアになっていく。よく見えるようになると何だか楽しそうに見えてくるし、もっと色々見てみたくなる。見えないものは気にしないけど、見えるものは自然に気になるようになる。

子どもが好奇心の幅を広げるのは比較的簡単かもしれない。生まれて初めて見るものは新鮮だし、学校では本人の今の興味とは関係なく幅広い事柄に触れられる。課外活動に参加すれば授業とは違った新しい経験もできる。一方で大人になると好奇心の幅は自然には広がりにくくなる。生活のパターンも代わり映えしなくなるし、新しいものごとが見えにくくなる。既にそこそこの共通言語を知っているし、知らないことも過去の経験から推し量れてしまう。見えている部分からぼやけた部分を補完してしまい、まるで実際に見てきたかのように語って満足してしまう。

これを打ち破るには意識的な心がけが必要になる。自分が知らないことを耳にしたとき、聞き流さずに「それって何ですか?」と相手に聞いてみる。キーワードを頼りにネットで検索したり動画を観たり入門書をパラパラ流し読みしてみる。基本ルールだけでも覚えてみて、観察したり体験してみたりする。深く学ぶ必要はない。ちょっとだけ解像度を上げてみる。そうすると好奇心の回路がどんどん形成されて、関連した話を見聞きするたびに勝手に駆動するようになる。

既に興味のあることを学ぶのはもちろん、こうやって興味を持って楽しむために学ぶというのもよい。何かを「つまらない」とか「Not for me」と遠ざけるのは、それが何かを知ってからでも遅くない。