「百聞は一見に如かず」ということわざがあります。「物事は耳で聞くよりも実際に見ることでより多くのことが正確に分かる」「自分で確かめることが重要」という意味のことわざだと理解しています。お風呂でふと浮かんできた「百聞は今も一見に如かずなのか?」という疑問を出発点に、思いついたことを雑多に書き並べてみました。

なお本記事は単なる言葉遊びであり、真面目な議論を意図しておらず、特に結論はないです。

  • そもそもなぜ「百聞」は「一見」に如かずなのか?
    • 「聞く」とはすなわち人を介した伝聞であり、介在する人が多くなるほど情報が欠落したり改変されたりする。不正確な情報をいくら聞いても正しい認識にたどり着ける可能性は低い。
    • 一方「見る」ことで伝聞によるバイアスのかかっていない生の情報にアクセスでき、その情報量も「聞く」ことに比べて格段に多いはず。
    • 百回聞くよりも一回見る方が価値が高かった。
  • インターネットの登場により伝聞のあり方が激変した。
    • 「一聞」で得られる情報量が増え、その正確性も(以前に比べて)格段に増した。一方で「一見」で得られる情報量や正確性は昔と変わらない。
    • もちろんインターネット上の情報は玉石混交であるが、インターネットは公開性が強く、識者による情報の検証も期待できるため、(ネットリテラシーは求められるが)旧来の伝聞に比べて正確性が高いと言って差し支えないはず。
    • 「一聞」の金銭的・時間的コストが大幅に減った。公共交通機関の発達によって「一見」のコストも減ったが、依然として負担は大きいといえる。
    • 以上を踏まえると「一聞」の価値は「一見」には及ばないにしてもかなり大きくなったといえるのではないか。
  • 「見る」の多様化
    • 情報通信によって遠隔地の様子を映像で見ることができるようになった。これにより「一聞」と「一見」の境界が曖昧に。
      • テレビニュースや動画配信サイトで見る遠隔地の映像は「一聞」なのか「一見」なのか?
      • バーチャルツアーで自然や世界遺産を回るのは「一聞」なのか「一見」なのか?
      • VR 空間におけるアクティビティは「一聞」なのか「一見」なのか?
    • テレビニュースの映像は放送の尺や放送者の思惑により加工されており、性質としては「一聞」に近いかもしれない。動画配信も同様だが、無加工の映像であれば「一見」に近いかもしれない。バーチャルツアーは「一見」かな。VR 空間はそこにしかない価値を体験でき、他の媒体に比べて「一見」度合いが強そう。
    • VR の「一見」度合いの強さは「見る」に加えて没入感・身体性・能動的な介入による影響がありそう。そもそも「一見」とは単に「見る」だけではなかったのではないか?
  • 五感による体験の重要性
    • 昔は「見る」ことは「体験する」ことを含んでいた
      • 「見る」ためには現場に行く必要があった。
      • 現地へ行き、五感を通して体験することで、物事をより深く記銘することができた。
    • 現在は「見る」と「体験する」が分離している。
      • 「見る」ために現場にいる必要がない。
      • 映像配信によって「見る」ことはできても「体験する」ことはできない。
      • VR は現場を手元に持ってくることで「見る」ことと「体験する」ことの両方を含んでいる。

図解

  • 見聞を超えた体験の重要性
    • 「見る」だけではなく「体験」の大切さを説いた新しいことわざ?
    • 「一聞」や「一見」を超えた「一験」?
      • 例)「十聞は一見に如かず、十見は一験に如かず」
      • 「十見」と「一験」が同じ「けん」なので、音の流れ的に微妙かも・・・
  • まとめ
    • 「一聞」の価値は昔よりも増したと思う。
    • かつて「一見」には「見る」ことと「体験する」ことの二つの意味があったが、情報通信の発達によって両者は分離した。
    • 「一見」も重要だが「一験」はさらに重要。