「強いエンジニアは結局休日に勉強してるじゃん」って思うけど」という記事を読みました。強いソフトウェアエンジニアになるには、自分が得意な領域だったり楽しめるやり方で日々研鑽するしかないというのはその通りだと思います。また人生を思い切って他のことに費やすのも素晴らしい選択だと思います。私自身「コンピュータにばかり時間を割いていて良いのか」と日々思い悩みながら過ごしています。

一方で、そもそも「強いソフトウェアエンジニア」と「自分」を比較することに、もっと一般化すると「自分よりも何かに秀でた人」と「自分」を比較することに建設的な意味はあるのでしょうか?これについて私の中では「意味はないし比較すべきでない」という結論に感覚的に至っています。良い機会ですし、以降ではこの「感覚的な結論」の文章化を試みていきます。

なぜ比較すべきでないのか

  • 他者の観測可能なパフォーマンスやアウトプットは一部にしか過ぎず、またその背後には複合的な要因(可処分時間、金銭的余裕、ケアが必要な家族の有無、など)が横たわっており、それらを無視して自他を比較してもあまり意味はない。むしろその人の本質を見失う可能性がある。
  • どれだけ高みに登っても自分より秀でた人は無数にいる。仮に自分が他者よりも「強い」と感じられる状況にあるとしたら、それは恐らく自分の能力と現在の環境がマッチしていないだけ。
  • 比較によってメンタルがやられる。これによって自分のパフォーマンスが落ちて、余計にメンタルがやられるという悪循環に陥る。
  • 他人との比較軸は無数にある。ソフトウェアエンジニアとしての比較で優位に立ったところで、別の比較軸で振るわなかったら結局メンタルがやられる。

他人との比較を通してポジティブになったり、強いやつと戦うことでワクワクできるマインドセットを持っている人は気にする必要はないかもしれません。ただ、多くの人はそうではないんじゃないかなぁと思います。

では何と比較すべきか

そうは言っても自分の立ち位置を知るには何らかの比較対象が必要になります。「他人と比較すべきでない」と言いましたが、これは別に「他人を参考にすべきでない」と言っているわけではありません。優れた人のやり方を学び取り込んでいくのは重要です。ただし、その効果測定は他者との比較ではなく過去の自分と行われるべきです。

  • 自分のパフォーマンスやアウトプットはその背後にある複合的な要因も含めて大体観測可能であり、他者との比較よりも有意義な比較ができる。以前よりもパフォーマンスが振るわなかった理由を多角的に検証でき、本業以外の部分での成長実感と相殺できるため、結果に納得しやすい。

例:子育てによって可処分時間が減ったためソフトウェアエンジニアとしての成長曲線は鈍化しているが、一方で子育てを通して幼児教育に関する知見を得たり、スキマ時間の使い方がうまくなった。

まとめ

本記事では私が「他人と自分を比較すべきではない」と考える理由について思考整理してみました。変化し不確かな他人との比較ではなく不動で確かな過去の自分と比較することで、メンタルを保ちつつ自身の成長を総合的に実感できて自信につながる、というのがポイントでした。秀でた人を見るとつい自分と比較して落ち込んでしまいがちですが、できる人を観察して良いところを真似し、成長比較は過去の自分と行いましょう。この考え方がどなたかの役に立てば幸いです。